ZERO HALLIBURTON TIPS  ゼロ・ハリバートンについて…

ロ・ハリバートンの歴史は、ひとりのビジネスマンの手によって幕を開けた。
その男の名は、アール・パルマー・ハリバートン・シニア。
1930年代当時、世界を駆け巡るエンジニアであった彼は、鞄の隙間から入り込む砂や埃によって重要な書類や荷物が汚れ、傷むことに不満を募らせていた。
「どんな環境にも対応できる鞄を」と切望した彼は、中身を完全に保護する密閉性、強度、耐久性を備えた理想の鞄造りに自ら着手。
これがゼロ・ハリバートンの始まりだった。
エンジニアとして培った知識と経験を生かし、さらに完全主義者の彼は航空機設計会社の協力を得て、ついにアルミニウム合金製のオリジナルケースを完成させた。
強さと美しさを兼ね備えたアルミニウムケースの誕生である。
初は完全に自分用だったこのケースも、同じ悩みを持つ友人や知人から注文が殺到したことから、1938年に本格生産に乗り出す。また、1946年には現在のゼロハリの象徴ともいえるデザイン、プレイスライン(強度を持たせるための)入りのモデルを発表し、世界的に評判を得たことからついに1956年、ハリバートン氏はカリフォルニア州バーバンクに工場を開設した。その後、1968年にハリバートン・ケース社はゼロ・コーポレーションと合併。
新たにゼロ・ハリバートン社として再出発。
ロサンゼルスからソルトレイクシティへ工場を移転し、量産体制が完備された。
翌1969年にはアポロ11号の「月面採取標本格納器」を製造。
以来今日まで、その確かな機能性と優雅なフォルムは、世界中の熱狂的な支持者達から愛されてきた。
アメリカ合衆国歴代大統領をはじめヨーロッパ王室、ジャーナリスト、カメラマン、映画スターなどが顧客になっている。
しかし、その素材や製法、機能面は当初からの伝統的なスタイルを今なお貫いている。
その頑固なまでのこだわり。
これこそが、ゼロハリバートンの原点である。
ッキー山脈の西側、標高1300mの高地、ソルトレイクシティにある本社工場をはじめ、全世界に16の工場を持つゼロハリバートン。
その製造法は熟練した職人達の手作業によるところが多い。
もちろんコンピュータや最新の技術を駆使してはいるが、あくまで最高のケースを作るのは、最高の職人たち、というポリシーはゼロハリバートンの基本である。
造法は、実に多くの行程を経ている。
ゼロハリバートンの素材である航空機使用のアルミニウム2024合金に、摂氏493度で30分に渡って熱処理され、1平方センチあたり440トンもの圧力に耐えられるよう設計。
それぞれの形状にあわせたシェルをつくり、手作業でバリを取っていく。
次に摂氏約500度で熱処理を行い、シャワーで冷却し、独特のツヤを出しさらに硬度を増す。
また、手作業とコンピュータを駆使して丹念な磨き行程を施し、腐食から守るために薬品と電気で表面を加工していく。
最後に調整作業を行い、ふたつのシェルをぴたりと合わせ、内装を仕上げて完成となる。
番はケースから引き離すのに400ポンド以上の力を必要とし、ラッチは1万回以上の開閉に耐え、内部からでも1,000ポンド以上の圧力に耐えうるゼロハリバートンの製品。
旅行鞄やアタッシェケースの他にも、同社は元来、航空貨物や船便貨物用のアルミコンテナ等を製造販売するメーカーでもあり、他に緊急医療装置、通信装置、試験用装置などの数々の業務用、軍事用ケースも製造している。それゆえ、製品は最高の品質を誇り、現在に至るまで、世界中のゼロハリバートン愛用者の信頼を勝ち得ている。





ZERO HALLIBURTON HISTORY  ゼロ・ハリバートンの歴史ついて…

1938年 本格生産開始。量産モデル第1号誕生。
1946年 現在に至るまでのゼロハリの象徴とも言えるデザインにのっとる、プレスライン入りモデル発表。
1956年 カリフォルニア州バーバンクに工場開設。
1968年 ゼロ・コーポレーション社の傘下に入る。
社名がゼロ・ハリバートン社となる。
現在の本社工場があるアメリカ・ユタ州・ソルトレイクシティへ工場移転。
1969年 NASAの依頼によりアポロ11号の「月面採取標本格納器」を製造。月から石と砂を持ち帰った。
この時のケースはなんと標準モデルの内側を改造しただけであった。
1974年 レバノンのベイルート空港でハイジャックされた飛行機が人質解放後に爆破されるが、その残骸の中に発見されたケースは外側こそ変形していたものの中身は全く損傷がなかったという。
1980年後半 限定モデル「デイトナ」発売

フェラーリのデイトナに敬意を表し、製造されたモデル。
表面はイタリアンレッドの塗装を施し、内装はデイトナと同様の革素 材で仕様はクルマと同じデザイン加工がなされている。
発売当時はBLACKとREDの2色があり、世界で200本前後の発売。
復刻モデル「RM1938」発売

1938年に作られた初期ケースの復刻モデル。
内外装ともにほぼ完全に当時のままを再現。カーブの具合やラッチシステム・グリップ・ロゴマークなど細かい部分で現行商品とは違うが基本的に構造は一貫している。
これは、技術革新の速いここ半世紀を考えると驚異的な完成度を感じることができる一品である。
1995年 限定モデル「STEALTH」発売

湾岸戦争で活躍したステルス戦闘機。この名をとったケースは金属を越えたカーボン・グラファイトを本体に使っている。これは炭素繊維を樹脂で固めた素材で、層を重ねることで強度を発揮する。
内装はシャープなレザー張り。グリップやロックシステムはエグゼクティブ・アタッシュと同じクラスのものを採用している。
1996年 限定モデル「4A−50」発売

1946年に初めてプレスライン(スターリングビーズ)のはいったモデルが生産されてから、50周年を記念し発売された限定モデル。鏡面仕上げのポリッシュシルバー、内装は赤の革仕様を再現。クリアハンドルや赤のエンブレムも記念モデルのみ。
2000年 限定モデル「3A-21C」発売

P3アタッシェをベースに、シェル、ハンドル、クロージャをクローム加工。
2001年 レトロコレクションを発売

・E4-Retro:アタッシェケース
・DCO-Retro:ラゲッジケース
・CC-Retro:コスメティックケース

1938年創業当時のモデルをリメイクしたレトロコレクション。ラッチやハンドル、外装、内装にまで当時の雰囲気を再現している。

※写真は「E4-Retro」
2002年前半 レトロテイストなアタッシュケースなどを限定販売

・CE-TACA
・PC-MICA
・CE-MOBILE

CE-TACA、CE-MICAともにハリバートン初期ケースと同等品のラッチを採用され、ハンドルには珍しいアルミの削りだしを採用している。
外装はポリッシュ・シルバー。
ブラック&アイボリーの特別内装。

※写真は「CE-TACA」
2002年後半 限定モデル「3A-TITAN」を発売

プレミアシリーズのアタッシェケースをベースにして、シェルにチタン素材を採用した「3A-TITAN」
内装は専用設計された革製で、内外装ともにチタンの表示プレートが付く。
内装には限定の証であるシリアルナンバーが刻まれる。
限定モデル「STEALTH II」を発売

P4アタッシェをベースにして、シェルにカーボン・グラファイトを採用し軽量化している。
内装にもカーボン素材が使われ、アッパーシェルポケットにスペシャルエディションプレートが付く。
ナンバーロックフラップにはシリアルナンバーが刻まれる。
2003年前半 限定モデル「CEJX-BK」を発売

CEJをベースにシェルをポリッシュ・ブラックに加工。
レザーコレクション「Flap Briefcase」のハンドルが採用され、ラッチは鍵付きのものが採用されている。
内装はオフホワイトのアクセントが映える専用設計。
レザーコレクション「Bill Sleeve」が標準添付される。
2003年後半 限定モデル「CE3APS-LB・CE3APG-LB」を発売

CEJをベースにシェルをポリッシュに加工。
色はシルバーとゴールドのラインナップ。
内装は1970年代を思わせるライトブルーレザー。

※写真は「CE4APS-LB」
限定モデル「4APS-CRD・4APB-CBL」を発売

P4アタッシェをベースにシェルをポリッシュに加工。
4APS-CRDはポリッシュ・シルバーにレッド内装、4APB-CBLはポリッシュ・ブルーにブルー内装をそれぞれ採用。
リミテッドの証として、シェルに限定プレートが付く。

※写真は「4APS-CRD」
限定モデル「3ABK-PYTHON・4ABK-PYTHON」を発売

プレミアアタッシェをベースに内装を最高級パイソン革で加工。
リミテッドの証として、シェルに限定プレートが付く。

※写真は「4ABK-PYTHON」
2004年後半 限定モデル「ZR21L-CF」を発売

ZEROLLER「ZR21L」をベースにして、シェルにカーボン・ファイバーを採用。
内装も軽量化され、ZR21-SIに比べ0.8kgの軽量化に成功している。
米国販売のみ。
2004年末 株式会社大沢商会グループが日本輸入正規代理店業の幕を閉じる。
2005年1月1日よりエース株式会社が代理店業を引き継ぐ。